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「ORIBE」

岐阜県オリベ・プロジェクト

オリベイズム、オリベデザインセンター、オリベ想創塾、、。
(似た言葉が乱立したので、ここではオリベプロジェクトとして記したい。)
梶原拓(1933-2017)氏が岐阜県知事在職中(1989-2005)に提唱、推賞したオリベイズムの延長戦上に
にある事業で、古田織部の大胆さに学ぼうという主旨で1995年より多面的に運営されていた。
私が参画したのは企業セミナーである「オリベ想創塾」。


※古田織部が開いた織部焼きを代表する作風の「織部松皮菱形手鉢」。大胆さが目を見張る。
岐阜県下には陶磁器、木工、家具、和紙、漆器などの多様な産業があり、それらを一年度で3つの講 座を設け、企業単位で参加してもらう概要だった。 構成はプロデューサーとしての教授と、外部デザイナーなどによる客員教授。場所は岐阜市内の会館 と各務原にあったテクノセンターに「教室」が設けられた。 2002年、私は55才。 詳しく書いたら物凄い長文になる。ここではは要点だけ書き残したい。 当然、岐阜県庁のお役人が働いている。気の毒に悪銭苦闘したと思う。 同じ建物に外国人デザイナー招聘部署もあり、女性スタッフの通訳が5〜6名いた。 一番最初にこのプロジェクトに応じたのはイサム・ノグチのAKARIで知られるオゼキ社で、週1 回の講座はホテル宿泊だったものの、講座数が増えると宿泊や移動のやりくりが出来なくなり、何と 単身赴任なってしまった。


※オリベデザインセンター、想創塾の初期メンバーによる会合。
この今迄の業態と異なる話を受けた理由は、とにかくオゼキ社の会長にお会いしたかったことと、 春慶塗を手掛けて見た事があった。 オゼキ社の会長(尾関秀太郎さん1922-2017)は素晴らしい人、経営者でした。やはり、あかりシリ ーズを世に送りだした力量は並々ならぬものがあったと確信した。今でもとても尊敬している。 もう一つは春慶塗り。 これは受講を快諾いただいたものの、講座は職人さん達(伝統工芸士)が仕事を終えてから、という 条件となり、この19〜21時の開講時間は時に大変な労力を要し、冬の飛騨高山の過酷さは貴重な 体験になった。


※参加企業から選ばれた受講生に対する講座。

気がついたら3年以上が経過してしまい、早く身を引きたかった。
しかし、意外にも困難が伴うのは「営業」で年間3講座確保するのは容易くなく、一番長けていた 私は思い切って話題性が高く、異色のプランを立てた。 「有名建築家によるカップ・アンド・ソーサー」。看板プロデューサーにAdam & Eveで 知られる富田敏夫さん(京都在住)を上げ、了解を得た。 建築家のリストアップは富田さんも交えて選出。断られたのは一名だけで、ほとんどがOKで12 名が揃った。 青木淳、磯崎新、伊東豊雄、隈研吾、妹島和世、高松伸、竹山聖、團紀彦、長谷川逸子、坂茂、葉 祥栄栄、六角鬼丈(敬称略) 問題は作る方だった。 「売れる見込みがない」とか「事業内容に合致しない」等の理由でことごとく辞退されてしまった。 仕方なく、メーカー・試作は私が担当することとし、まずは最低でも6社に分散して強力してもら うべく計画を練った。 最初に受け入れてくれた大東製陶の加藤社長で、次は加藤社長の繋がりなどを辿り技術水準も高い 6社の了解を得ることが出来た。場所は多治見市、土岐市エリアとなった。 製造方法は全て「鋳込み成形」としたが、専門知識が期待出来ない建築家なので「出来る、出来な い」で理解が得られないことが懸念されたが、概ね原案通り進展が可能だった。 ただ、役所仕事なので年度(4月から翌年3月)内に納めなければならない。正式に全者が集まっ て会合を持てたのは2006年の7月1日。余裕は全くなく、辞めることが出来なくなった。 ところが、陶磁器業の不況もあってか、現場では宅配便を使う慣習がなく、業者同士がそれぞれ運 搬しており、結局、その役目は私がやらなければならなかった。 図面を受け取ったら業者に出向いて打ち合わせ。試作が出来た連絡が入れば引き取りに行く。下請 業が絡む場合でも、その役目は誰もやらない。「電話で済ませる事が出来れば無駄なことはやらな いで下さい」?役人は言う事は支離滅裂だった。とにかく、2月の完成を目指して月に5千キロの 走行距離となり、クルマの整備も月一回、必ず出していた。 この間、発表の場と出版についても目処を立てようと動いた。 発表会は毎年、「大茶会」を催して評判だった東京は新宿のリビングデザインセンターOZONE に打診した。茶とカップ&ソーサーは必ず一致しないが、建築家のトップクラスが参加しているプ ロジェクトを強くアピールした。話題性があるという事で会期は2007年7月で快諾いただいた。 図録代わりの出版はラトルズ社が引き受けてくれた。タイトルは「テーブルの上の建築」。 本のデザインは出版社の推薦で山口信博さんが担当。作品撮影も山口さんの指定カメラマンに依頼 した。 本を構成する材料として寄せられたスケッチ、図面の他にオリベ側で独自に起こしたCADデータ やモデリングが加わり豊富な内容となった。海外では似たプロジェクトがあったものの、これだけ ワイドに捉えたプロジェクトは存在しないはずだ。


※12名の建築家によるカップ&ソーサー。(現在、私は全部所有している。)

古田織部に学ぶオリベプロジェクト。 梶原拓県知事の提唱したイベントは多岐に渡り、この中で開催された「織部」展の図録も持っていた。 これをどのように理解するべくか、肝心のことが抜けていては何もならない。 「物作り」は何時の間にか「売れる物作り」になり、本来の姿を失っていると私は思っている。 それは「マーケティング・イン」デザインに集約され、市場に念頭を置かない「プロダクト・アウト」 型商品開発は否定され続けていることに如実に現われている。 梶原知事の狙いはそこだと翻訳した。 陶芸が発達して次第に精緻になり、職人はそれを競った。 が、その延長戦上で例えば「織部焼」の大胆さは理解のしようがない。 無骨でさえある土の造形。うねうねとくねった紋様は花鳥風月から離れた不思議なエレメントに溢れ、 逆に評価されることをあざ笑うようなデザインだ。 千利休がモダンデザインのようであるかのように感じられるのに対して、織部は冒険とアバンギャルド にさえ映る。そこに着目したのだと思う。 ところが現地の役人は手っ取り早く成果を上げるための「売れるデザイン」の頭しかなかった、とはお 笑い以外の何ものでもない。 メーカーがこれらの試作を作るのにどのくらい費用がかかるかは大体掌握している。 問題は、仲介する人材とアイデアがあるかどうかであり、(後で計算したら、これに掛かる約10ヶ月 の走行距離は4万キロだった!高速道路料金は支給されず!)それを埋め合わせる情熱だと確信する。 結局、一握りの人が色々な革新的なデザイン開発を手掛けている。三原昌平抜きに絶対にあり得ないプ ロジェクトだったというである。 完成しつつあり、発表会場(無料)、出版(勿論無料)も確定したころ、私はなぜか役人に呼び出され 用意されていた長々としたレポートが読まれ、私はクビになった。笑(何で?)ヒデェーもんだ。 本も発表会の案内状も送られてこなかった。笑(何で?)ヒデェーもんだ。 本にも、紹介された専門誌にも三原の名前はなかった。何も分かってない。笑(何で?)ヒデェーなぁ。 以後、初めてこの事実を知った人達から(怒りの)心温まるお手紙を何通かいただいた。。 笛吹けど、役人踊らず。貴重なコンセプトを溝に捨て去ったも同然にしか思えなかった。(詳細は後日) ※業務日誌、メール、資料や手紙は全部保管してある。 後世、デザイン史を紐解く貴重な資料になるだろう。




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