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Taylor & Ng

原点回帰
ものすごい発明でもデザインでもないが、とても思慮深く、誠実に考えられたフライパンの傑
作である。
化学樹脂(プラスチック)の技術革命が急速に進み、世界的な大戦後の経済を進展させ、大衆
消費を促して来たが、1970年代に入ると家族主義(ニューファミリー)や天然素材主義(
ナチュラリスト)が芽生えてきた。多くの産業がこの課題に直面しつつある頃、誕生したのが
Taylor & Ngのフライパンだった。焦げ付かないテフロン加工全盛の頃、本体は普
通の鉄板に木製のハンドルが付いている仕様。言葉だけで説明すると何とも「普通」で「古典
的」だ。しかし、その中身は知的で、製品自体が当時の風潮を批判しているような反通俗性を
訴えているかのような雰囲気が感じられた。本体の柄の長さはパッケージ(箱)の対角線方向
にスッポリと収まり、無駄な空の部分を消し去っている。ハンドルは、一般的なフライパンが
ほとんど耐熱性の高い、ベークライトなどの硬化性樹脂であるが、握った感触が良く、外観的
にも優しい印象の木製としている。勿論、耐火耐熱性も配慮されていて、グリップ下端は金属
の絞りがカバーしており、メンテナンス的にも優れた処理だ。そのグリップを本体に固定する
方法は、本体部に溶接されたロッドの先端にインナーネジが切ってあり、そこに木製のグリッ
プを貫通して、端が丸舞った処理を持つ、これまた棒材をユーザーがねじ込んで固定される事
になっており、その丸められた造形は回すための機能と、収納の際の釣り下げに対応している。
一つ一つが無駄が無く、それでいて全体がヒューマンなデザインをメッセージしているのは実
に見事である。全体のデザイン計画は都会的というよりカントリー風にまとめられ、個性的な
ロゴや書体は一貫性があり、強い信念が感じられる。この時代の傑作であり、時の経過に左右
されない恒久感があり、シリーズとしての展開ね隙がない。これを受け入れた愛好家には、引
き続き同社の製品を揃える愉しみもむ備わっているのだ。機能やツールを購入する意味だけで
なく、生活のテイストやライフスタイルを満たす目的にも使われることになる。


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※日本におけるTaylor & Ngと堀江光さんのこと
卒業して社会人になり、短い期間でフリーランスになった者として人脈の貧しさほど不安にな
ることはなかった。もし、時間軸が10年後だったら、この商品が日本で生産されることは無
かったかもしれない。
その時、私はグループ展を主宰し、松屋デパートのクラフトギャラリーで会期がスタートした
ばかりだった。
その日は会場当番でなかった。が、デパートの担当者から「アメリカ大使館の方が三原さんに
お会いしたいと言ってます」と電話が入り。事務所があった渋谷から40分弱だったので、急
いで駆け付けるとニコニコとした中年の男性と、目がギョロとした、これまた30半ばの男性
が待っていた。
「何のことか?」と思ったが、要はアメリカ大使館で信用させ、主題はその隣にいたギョロ目
の人が会いたがっていたことが分かった。何ということだ。
で、いきなり「君に見てもらいたいものがある」と切り出した。名刺には堀江光、とあった。
とにかく気が短い人で、たしか翌日、急かされて千葉県は市川市のご自宅を訪ねた。駅に迎え
に来られ、自ら日産プレジデントを運転していた。
いったい、何の話か?と思っていたら、応接間に案内され、そこには夥しい数の製品が並んで
いた。ゴルフ用品から日用雑貨、建築建材、、、。ざぁっと30分ほどで見終わり、どのよう
なことなのか、話を聞く事にした。
堀江さんは、主に建築現場で使用する足場のパイプを止めるクランプを製造販売しているよう
で、他の事業も含めて大手商社倒産の煽りで苦境に陥っており、新規事業を余儀なくされてい
るという。「ぜひ、この中から三原さんの推薦するものを挙げてほしい」。
(エー!、そんな勝手な事情で普通、呼ぶか?」と思ったが、勢いに負けて、もう一度、応接
間に戻って吟味することにした。
まず、私はゴルフの事はわからないので、これらは除外した。
堀江さんの今迄の仕事が金属関係だったのでプラスチック主体の製品も除外した。
こうして浮かび上がったものの中にフライパンがあった。一種類だけで、それは複雑な工程を
必要としないし、プレス型もヘラ絞りから可能だし、先行投資も少なくて済みそう。
そして、何より箱を開けると本体とグリップが分解されてコンパクトに収まるようにデザイン
されている姿や独特な書体によるブランドデザインも見事だった。良く考えられている!
商品名はTaylor & Ngと、あった。
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30分ほどして再び堀江さんが応接間に入って来た。結論を話すとやや「?」不可思議とも取
れる顔で、大きな目がギョロついていた。
私は確か、次のような理由を述べたことを記憶している・
○設計自体が明確で、アッセンブリが容易ある。
○高度成長期ムを終え、時代はニューファミリーという市場が生まれていること。
○プロはテフロン加工のフライパンを使っていないこと。
○天然素材の安心感。
○デザイン計画が見事なので、これに習うことが出来ること。
最初は本当に半信半疑で、「実はこれをやろうと思っている」と、ある建材を手にとった。
ただ、それがどんな建築現場に向いているのか不明であることを告げ、何かのお菓子ほもらっ
て帰った、、。
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堀江さんとの付き合いはそれから始まった。
1週間後あたりだったと思う。事務所に電話がかかってきた。
「○○デパートの人に見せたら、これは旧いフライパンで、だから便利なテフロン加工に進化
している」と言われた!「君の考えは間違っているのではないか!」とエライ剣幕だった。

「ま、普通、現場の販売員はそう言うと思います。」「そうだからこそ、原点回帰とも言える
デザインを見直す価値があります」「試作は比較的簡単なので作って見てはどうですか」。

ここからが堀江さんの偉いところで、2週間ぐらいで地元の業者をかき集めて、オリジナルと
同じものを作ってしまった。この間も、ひっきりなしに電話が掛かってきて、他の件でもアド
バイスを求められが、特にブランドアイデンティティはTaylor & Ng社に敬意を表
する意味も込め、同意を得るよう進言した。社名ロゴとパッケージなどに使うロゴの原案は私
が作ったものを他のグラフィックデザイナーが展開している。

3ヶ月後には主要な種類の試作が出来上がり、当初は手作りだったが露天販売などを経験する
うちに自信をもったのか、本格的に製品を固めていった。

堀江さんの提案によるものの中で納得したのは本体にハンドルの付け根に相当するロッド材を
スポット溶接されていたが、これをリベット止めとしたこと。凸起の部分だけ調理を邪魔する
が、安心感は桁違い。良いアイデアだと思った。
抵抗があったのは、オリジナルにはなかった木製ハンドルに「ロゴを焼き印」したこと。デザ
イナー的には汚してしまった印象で少し残念だった。

来日したテーラーさんとは、この頃、堀江さん宅にお会いした。すれ違った程度だったが、、。
とてもにこやかで、堀江さんと同年代とも思えるスラリとした男性だった。

と、ここまで書いても堀江さんの激しさは伝わらないと思う。
一つ一つ、最初から信頼して受け入れることは絶対なかった。
仕方なく、市川市に近い場所で仕事をしているデザイナーを2名紹介したりしたが、相変わら
ず執拗に電話がかかってきた。時には反論するために私の出張先や宿泊先ホテルまで電話がか
かってきた。人の迷惑をかえりみないというか、、。とにかく激しく衝突した。
人の話に傾聴はするが、とことん納得しないと言う事を聴かない。
反論すると「それだったら、君じゃなく○○君に頼む!それでいいんだな!」
「ハイ、そのために紹介した訳ですから、、」
これの繰り返し。
そして、挙げ句のはてが「三原君、分かったよ。これはこういうことなんだ!」
「(それは私が言ったことじゃないですか、、、、、)」

仕事は猛烈に早く、1年数カ月で最低限のフルラインを完成させていた。
この間、独断で陶磁器デザイナーとして高名な佐賀県の森正洋さんに会いに行ったり、商品に
アンケートハガキを同梱して、回答してくれた顧客には必ず、堀江さん自身が手書きで返事を
書いていたり、とにかく情報の集める方法が多面的でそつが無かった。私も堀江さんから学ぶ
ことが多かったが、兎に角、かかって来る電話の数が多く少々閉口ぎみだった。

そんな時、例によって堀江さんから電話がかかってきた。それは自慢する電話だった。
(内容は具体的に書けないが)私は瞬間湯沸かし機のごとく猛烈に反対し、激しいやり取りに
なった。「あなたと、最初の頃、朝の3時まで議論したのは何だったんですか!」

その翌朝、今度は珍しく堀江さんの奥様から電話が入った。
「今迄、お世話になったのに、もう主人は三原さんの言う事は聴かないと思います。どうか、
主人から電話があっても会わないで下さい」。
後日、奥様から現金書留が届いた。奥様の言う通りにしていた。

それから、確か3ヶ月経った頃、「今、渋谷駅にいるので会ってくれないか」と電話があった。
仕方なく渋谷駅に行き、2時間ほどお酒を交わして電車で別れた。嘘のように神妙だった。
もう一回だけ、何処かで会った気がするが、堀江さんとはこれが最後となり、電話もなかった。
1978年のことだった。




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