.



「近代建築」

近代建築デザイン

19世紀にガラスの可能性を示したクリスタル・パレスと、鉄骨のとてつもない建築造形となったエッフェル塔だったとすると、20世紀はコンクリート建築の幕開けから始まった。
略称はRC、つまりReinforced-Concrete(補強コンクリート)の意味はコンクリートの圧縮に強い性質と鉄の引っ張り強度が互いに補って、非常に効率の良い建築が出来ることを指している。
また、偶然、両方とも熱膨張率が限りなく近い値であったことと、コンクリートの混ざっている砂利が大量に、そして安価に採取出来たことが普及に拍車をかけた。
鉄筋はアルカリ性のコンクリートに被われているので腐食しにくく、屋根の存在を不要としたため、二十世紀の建築論争は屋根の有無論争となり、やがて屋根を持たない合理的な箱形建築が圧倒していくことになる。
これをイズムとして支えたのが1928年に結成されたCIAM(シアム)で、ヴァルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、ジークフリート・ギーディオン、そしてル・コルビジェなど、後に建築界の巨匠と称される人達が中心メンバーとなっていることに注目したい。
こうした流れで1930年代から第二次世界大戦に突入し、不毛な時代を通過した後の五十年代は再び建築界が脚光を浴びる。

それは、合理的な建築材料に過ぎなかったコンクリートそれ自体を建築造形の対象として見つめ直そうという動きで、その代表格がコルビジェによるロンシャン礼拝堂(1955年)で、鉄筋コンクリートを基本にしつつ曲面をシェル構造を採用したり、分厚い塗料であるスタッコと打ち放しのコンクリートの質感の対比が新しい時代の到来を予感させた。

日本においても丹下健三が伝統論争などを引き金に次々と新しい日本的モチーフを鉄筋コンクリート建築で誕生させているが、そうした功績よりもRCの性質の違いをそのまま建築として表現した代々木競技場(1964年)や、1970年代以降の安藤忠雄の美しいコンクリート打ち放しにこだわった一連の作品は、これが日本で最終的に昇華されたものという理解も成り立つほどある。
この後の建築デザインの流れとしてイギリスで結成されたアーキグラムの六十年代デザイン運動や、七十年代にアメリカから提唱されたハイテク(High-Tech)の概念は大きく影響している。つまり、建築デザインは限りなく情報化されたものになり、その流れの一部にカウンターカルチャー型やアイロニー的なものまで含まれるようになった。
そこから作品性が重んじられる傾向が建築ジャーナリズムにも浸透し、所謂「軽い建築デザイン」競走に入っている。コールハースや日本の伊東豊雄、妹嶋和世はこのために壁を取払い、仕える最先端の素材を積極的に採用し、まるで霧で出来ているような建築を理想として追い求めていると言える。まるで何も無い建築を探すように、。




2019 Syohei mihara design studio.All right reserved.