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「mini」
ミニ(MINI)

1946年、ユダヤ人がイスラエル国を独立させ、益々アラブ諸国との摩擦を増すこととなった。
直後の第一次中東戦争、1956年にはエジプトによるスエズ運河封鎖という事態に英・仏、イスラエル連合が参戦した第二次中東戦争が勃発した。これによってイギリスではガソリンが配給制となり、効率の良い小型車の開発が必要とされた。
立ち上がったのはオースティンやモーリスなど複数のブランド合併により結成されたBMC(ブリティッシュ・モーター・カンパニー)で、当時会長だったレオナード・ロードは社内技師だったアレック・イシゴニスを主任開発員に抜擢し、ADO(オースチン・ドローイング・オフィス)15というプロジェクト名で開発をスタートさせた。
「なるべく早く完成させるために、エンジンは既存のものを使い、四人乗りで、世界一小さいこと」を目標とした。

1959年に完成し、「ミニ(mini)」と名付けられたクルマは、何と日本の軽自動車よりも短い全長3050ミリの中に納められた850ccのエンジンは前輪駆動ながら、何と横置きに搭載するという斬新な設計が採用された。しかも、前輪軸の真上にマウントされているから、車体は極端に短く出来た。
しかも、四輪独立懸架のサスペンションを採用、車体の四隅いっぱいに張り出したたった10インチのタイヤの走行性能は抜群だった。
エクステリアデザインは可愛い印象のものになっているが、これは意図的にしたものではなく、むしろいたるところに合理性剥き出しの処理があることに注目しておきたい。それは外に飛び出しているドアのヒンジだったり、熔接しろを外側に出して作業しやすいようになっている点で、今日のカーデザインの在り方を考えさせられる。
また、VWビートルとは違ったバリエーションの広がりがあり、その一つが性能を向上させたクーパーとクーパー・エスだった。850cc34馬力だったエンジン排気量は1000cc55馬力のクーパーから、最終的に1275ccのクーパー・エスまで誕生し、こちらも大ヒット車となった。
ミニの考え方や駆動方式は多くのメーカーに影響を与えたが、1970年代に入るとVWのゴルフが登場して次第に形成が不利となり、また通称「英国病」が自動車業界も直撃し、次世代のミニの開発を遅らせてしまった。結果的に約四十年近く生産され、二十一世紀に入った時点で生産が中止され、BMWが買い取ったブラント「ミニ」を翌年の二〇〇一年にBMWミニとして発売し、飛躍的に向上した走行性能と居住性が評価され、今日に至っている。
全長3,050全幅1,410全高1,346 ホイールベース2,036 直列4気筒水冷OHV 車体重量638kg



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