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「バウハウス」

バウハウス(BAUHAUS)1919-1933年

ちょうど、一世紀前に起こったデザイン運動とも言える学校教育。飛行機が発明され、自動車の大量生産が可能となり、金属を中心とした新しい素材が工業化されたばかりの頃だった。そこに形として総合的に新しい秩序を模索したのがバウハウスだった。

第一次世界大戦が終わったばかりの1919年、初代校長にワルター・グロピウスわ迎えて「ワイマール国立バウハウス」が開校し、総合芸術教育を目指した。しかし、このワイマール国立学校は財政的に窮地に立ってしまい、6年後の1925年にはデッサウ市立バウハウス校として再スタートする。が、28年にはハンネス・マイヤー、30年にはミース・ファン・デル・ローエと校長が交代したが、1933年、急激に台頭してきたナチスによって閉校となった。
モダニズムデザインの原点ではあるが、一定の様式があった訳では無いので、生まれた形はバラエティーに富んでいる。ストイックなものから、アメリカンポップを連想させるもの、キュビズムと重なりあうイメージのものまで多様である。また、理念があっても試行錯誤の中にあって、完成度については求めるべくもなく、教育題材として見ると学ぶ側に一定の解釈が求められるも注意が要る点だろう。

結局、求めていた建築から工業・工芸デザイン〜ファインアートなどの総合デザインの成果は微々たるもので、個々においては建築家のコルビジュジェの建築、家具デザインが勝っていたり、また新しい素材の対峙としては閉校10年後のイームズなどの功績が顕著である。

また、建築だけでなく家具や建築金物、金属ウェアなどトータルデザインを最初に成し遂げたアルネ・ヤコブセンの存在が上げられるだろう。

いずれにしても、近代造形デザイン教育においてはも、世界中がバウハウスの理念を参考にしたり、取り入れたりしており、その影響は一世紀を経ても変わる事はない。正しく、素材を学び、人々の生活に活用するための形や合理的な考え方を学んでいる事は間違いない事実である。

バウハウス教育カリキュラム (※ 図表-川崎市市民ミュージアム )


舞台のためのイメージスケッチ(Hainz loew)1921



広告デザイン「影の構成」(Ench Mrozek)1930



劇場のためのポスターデザイン(Marcel Breuer)1923



ティーポット(Marianne Brandt)1924


ラウンジ・チェア(Marcel Breuer)1928


ワイマール校長室(Walter Gropius)1923




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