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「SONY」



ソニー(SONY1946年-)

動のホンダに、静のソニー。敗戦からの復興の立役者を象徴される二社は、そう称される。
終戦の翌年である1946年に日本橋の白木屋デパート内に東京通信工業株式会社を設立、後の中心人物となる井深大は専務、盛田昭夫は常務取締役としてスタートするが、翌年には現在の拠点でもある品川の御殿山に工場と本社を移転している。
3年後には日本初のテープレコーダーの商品化に成功、1955年にはソニーのブランドを世界に広めることとなったトランジスタ・ラジオを発売、商標もSONYとし、アメリカへの輸出を開始している。
このSONYブランドの船出にはおもしろいエピソードが残されている。
出来上がったトランジスタラジオを携えて、盛田はアメリカに営業に行った。そこで時計会社から10万台もの注文をもらう。ところが、相手はそのブランドをSONYではなく、OEMにして「我が社のブランドを付ける」ことを条件にして来た。盛田は何度も日本の本社と連絡をとり、結局この商談を断っている。ノドから手が出るほど欲しかった注文を捨て、自社ブランドの構築と普及を意識した驚くべき決断だったと言える。まさにローマは一日にして成らず、である。
また、この頃まで柳宗理にデザインについて参画してもらったり、この一年前には初となる社内デザイナーを採用している。世界のSONYへの道は着々と準備されていた。
そして、六十年代に入ると世界最小のトランジスタTVを発売、「日本人はものを小さくすることが得意」という神話を生む最初のニュースとなる。

今では外国人をCEOに迎え、7兆円を超える売り上げ高に十七万人の社員を抱える大企業である。しかし、当時は社員数人からはじまったベンチャー企業ならではの力の弱さがあり、関西系の大手家庭電気メーカーに対抗出来るようになるまでは七十年代に入るまで待たなければならなかった。
そして、カラーテレビ時代に入ると、独特な六八年に開発したトリニトロン方式が評価され、業績を一気に伸ばし完全な大手企業の仲間入りを果たすと、さらなる飛躍に繋がる新製品を投入する。それが世界初の携帯型カセット音楽プレーヤー「ウオークマン」だった。
これはソニーの若い社員がテープレコーダーを改造して小型のものにした自作機がベースになっていて、当時のデザイン責任者だった黒木靖夫がまとめ役となって、4ケ月後という驚くほど短期間に商品にして発売している。結果は街の風景を一変するほどの大ヒットとなり、録音が出来ない、聴くだけのポータブルかつ、パーソナルな新しい概念の音楽再生機となった功績は大きい。
結局、大きく時代の流れを見ると小型化と個人化の流れは計り知れないほど大きかったことをSONYの歴史は語っている。
また、従来の常識にとらわれないことがどれだけ大切なことかを自ら証明しているが、一方、ウオークマン発売の3年前に創業した小さなコンピュータメーカーであるアップルが、その後ソニーを脅かす企業になるとは誰も思っていなかった。




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