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ルイジ・コラーニ

ルイジ・コラーニ(Luigi Colani 1928年-)

1978年、カースタイリング誌の別冊として出版された「ルイジ・コラーニ」特集は衝撃的だった。
そのデザイン造形のコンセプトは「宇宙には直線がない」、したがって私のデザインは曲線と曲面だけで出来ている。
工業デザイン界は1974年のオイルショックの影響からようやく脱出し、高度経済成長から安定成長に軌道修正された中で、一筋の光りを求めて歩み出したような時代だった。だから、この頃のデザインには、ほとんど収穫が見られない非常に低迷していた時代だったのである。
そこに、自由奔放で破天荒にさえ映る強烈な作品集が登場した。ルイジ・コラーニという名前は誰も知らなかった。枠をはみ出たようなデザインの捉え方、作品の作り方、写真の撮り方などなど、別の星から降り立ったような感覚だった。
表現されているのは自動車から飛びそうにない飛行機が中心で、その種類は実に多い。プロが見ても素人が見ても驚いたし、また楽しめた内容だった。産業界もチョットした騒動となった。沈滞していた工業デザインに風穴を開ける存在に映ったようだ。
ルイジ・コラーニの日本での仕事が始まった。それは実に様々な業界だった。
すでに、七十年代前半からヨーロッパの時計や自動車メーカーからアメリカのNASAまで精力的に仕事をこなしていたが、日本の高いポテンシャルにすっかり感動したコラーニは活動の中心を何と、東京の青山に移してしまう。そして、食器からカメラ、照明器具、釣り具、ライター等々、まさにコラーニ・ブームと呼ぶに相応しい活動となり、もちろん自動車も含まれていた。また、デザイン制作活動だけでなく、出版や個展も精力的に開催したので、益々知名度は上がっていった。
しかし、それから十年が経過して日本はバブル経済が崩壊、コラーニも活動の拠点を再びヨーロッパに移すが、その後、中国からも招かれ、多くの仕事をこなしている。

コラーニに何を学ぶべきか。
自分自身の確固たる哲学を大切にしている。造形に対するコンセプトが個性的で壮大である。それを社会や企業により具体的に見せるために絵だけでなく、よりリアリティのあるモデルを制作している。さらに、それをあたかも現実に存在しているかのようなビジュアル(写真撮影)で到達し、自然と最高のプレゼンテーションの状態を作っている。
そこまで完成していると、出版社を中心としたメディアも紹介しやすく、またデザイナーの意図や、デザインへの理解が確実に伝わることになる。労力のロスが少なく、常に良い方向に情報が伝達される。と、これまでレイモンド・ローウィも実践していたことだが、壮大さとモデル制作までこなしたのはコラーニが最初になるだろう。
そうは言っても、生産性との整合性の問題を解決しないままではあるが、まずは社会や普通の人達に夢を与えることの出来る哲学や思想を持つことの大切さ。そして何にも増して、それが先行していなければならないことを教えていたコラーニ旋風だった。




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