.



「アップル」

アップル(Apple1976年-)

ヒューレットパッカード社にエンジニアとして勤務していたスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックがアルバイト感覚で立ち上げ、後にアメリカン・ドリームの代表的な存在となった企業。
ようやくマイコンという言葉が飛び交い、電卓(電子卓上計算機)が大衆のものになったばかりの頃、大型コンピュータの部品を集めてコンピュータ・キットのようなものを半年間で作り上げた。それを上司に見せたところ却下され、ジョブズとウォズニアックは身近なものを換金し、部品を買い集めてバイトショップに五十台の最初の製品を納品した。名称はアップル・ワン(Apple l )、一九七六年のことだった。
追加オーダーもあり、一定の収益を上げてもまだまだ資金不足だった二人は、資金提供を申し出たマイク・マークラの個人資産を加えて1977年早々にアップルコンピュータを法人化、急いでウォズニアックが設計し直したApple ll は全世界の話題となって大ヒット。パソコンという名称も定着し、加えて開発した独創的なフロッピーデスク・ドライブは、アップルにサード・パーティ・メーカーが取り巻く結果となり、一大市場を形成する。
と、ここからアップルはさらにとんでもないことに挑戦する。
次世代のパソコンは「Easy to Use」、つまり誰でも簡単に使えるものでなければならない、ということで計画に入る。1979年、ジョブズ等はゼロックスの研究所を訪れて、アルト(Alto)の試作機を見せられる。それはまさに、五年後の1984に発売されたマッキントッシュ(Macintosh)のお手本となるもので、今日のパソコンの概念をなすものだった。
それから約十年、アップルはすっかりマッキントッシュの先行性を失い、経営危機に陥っていた一九九六年、追放されていたジョブズが再び復帰、開発費が膨大に膨れ上がっていた割には低迷し続けた多品種路線の惰性に明確なディレクションする。その最初のものが復帰して一年後に発売されたiMacだった。仕事場から家庭に入り込んだ時期と重なり、重々しいデザインからカジュアルで軽快なものとなり、爆発的ヒットとなる。
その三年後の2001年にはiPodを発売。ハードウェアを介さず、ネットから音楽の配信を受けるという常識破りの携帯音楽プレーヤーで、新しい巨大な市場を徐々に獲得。さらに電話機能を付加したiPhoneを2007年に発売。携帯電話機の概念を変えたスマートフォンとしての地位は、もうベンチャー企業アップルの面影はどこにもない、堂々たる大企業への躍進を遂げている。
その後の勢いも止まらず、2010年にはタブレット型パソコンであり、巨大なiPhoneの一部とも言えるようなiPadを発売、今後とのアップルの動向に大きな注目が集まっている。

躍進を続けるアップルの秘密は何だろう。
スティーブ・ジョブズの才能 ? 大胆な経営方針? 自由なアメリカ気質 ?
一つのことだけで特定出来ないが、それぞれが異様なほど「美」にこだわって来たことだけは他社にない特徴と言える。それは特にマッキントッシュの開発の時から始まっていて、その説明書やインターフェイスのアイコンの美しさは、iPad(誰も見ることがない)の中身のディテールが漆が塗られた工芸品のようになっていることと相通じるものがある。その精神が成功に導いているのかもしれない。




2019 Syohei mihara design studio.All right reserved.