.


工業デザイナーが注意するべきこと(経験から)

(1)やってはならない「Giveだけを求める姿勢」

人生、Give & Take!と分かっていても、じゃぁ、デザイナーのGiveって何?企業も同様、デザイナーに対
するGiveとは?
双方が得る事しか考えられない。考えつかない。考えが及ばない。与えられているのに、後になっても理解出来ない、現実。
これでは活躍出来ないし、成功出来ないし、相手から評価や信頼が得られない。
順番はこうだ。先にTakeではなくGiveであること。先に与える事が出来た者だけが信頼を得ることが出来る。
分け前は後だ。
相手の成功の序章なくしてデザインの成功はない。先に相手の形(器)を作ること。少なくても器が後では入らない。
これが出来るデザイナーだけが新しい扉を開くことが出来る。人生も仕事もGive & Takeである。



(2)やってはならない「結果だけを求め、結果だけで判断すること」

経済成長が止まり、少子化は完全に常態化した年寄り社会、それが今の日本である。壮大な夢や、膨大なお金がかかるプロ
ジェクトは姿を消した。人々は、企業は、デザイナーは結果だけを求めて右往左往しているのが現実である。もてはやされ
るのは革新的なコンセプトではなく、最少の投資で最大の利益を、極々短期間で結果を出す事となっている。
しかし、素人でなければ、事は簡単でないことを知っている。失敗のない成功はあり得ない。最初から達観した物の捉え方
で、無駄な行為を省いてばかりいると、仕舞いには無印良品やニトリの商品開発のようになるだろう。人類の歴史がそうで
あったらなら寂しい限りである。
日本は何処に行っても広い田畑が広がっているが、元々、そこは森であり、山林であり、原野だったことを忘れてはならな
い。誰かが開墾し、畑や田んぼにして、土地や気候に合った農作物を植えた。幾度となく失敗や経験を経て作物が決まり、
手入れ、収穫の仕方も学ぶ。何世代にも渡って繰返され、引き継がれ、実りを得る。工業デザインは開墾の鵜業と酷似して
いるのだ。


(3)やってはならない「伝統工芸の仕事」

いち早く地場産業(伝統工芸)のモダニズムに挑戦した一人としての確固たる結論である。
ここ20数年を見ても、行政による活性化の一環として産地にデザイナーが派遣され続けたが、基本はボランティアである。
そもそも、伝統工芸には70年代に設けられた伝統工芸士資格制度があり、資格制度をもたないデザイナーより格上に扱う
認識が根付いている。それでも、全般に伝統工芸品は割高だったり、時代に合わなかったりで衰退し続けているが、それは
それで滅びの価値を有し、どちらに転んでも存続価値は毎年、大量生産されているデザイナーのそれを上回る。
が、日本の伝統工芸をデザインに取り込む価値のポテンシャルは世界有数である。
デザインを請け負わず、伝統工芸つを発注する形が今後の方向性だろう。デザイナーの理念の高さを活かし、現代性の課題
を持った広がりの中で取組むべきだろう。

※エピソード(1)山形の鋳物業の仕事、報酬は始まる前の温泉一泊のみ。交通費無し、発表後の報告一切無し。
         海外の雑誌から取材があり、写真が掲載された事を知ると電話で「勝手なことするな」と言われた。
      (2)岐阜でも同じ繰り替えし。驚いたのは東京での発表後、地元ではデザイナー名をふせて発表していた。
      (3)青森での事例はもう法律やモラルが崩壊している。犯罪に近い。
      (4)地方では全般に男女関係がお盛んで、予算を「飲み食い」に使ってしまい監査でクレーム、が多い。
       ↑
       以上、決して中傷ではなく事実である。最低限、倫理観の高い人に出会わなければ仕事は完遂しない。


(4)やってはならない「家族主義企業のデザイン」

中小零細企業のデザインに着目し、多くの実績を上げることが出来た。デザイナーとしての個性が活かせるし、何より、決
断がダイレクトで早いことが快適である。大きな企業の仕事における存在感の無さや、空振り感、そして担当者が変わると
方針も変わってしまう、ということを回避出来る。この実感、私は最初の発見者だと言われたことがある。
しかし、もちろん問題点もある。開発経費が限られているし、成果になかなか広がりが得られないことも多い。何といって
も専業の工業デザインだけでなく、企業のプロモーションからグラフィックデザイン、販売促進、場合によってはインテリ
アデザインからディスプレーデザインまでカバーする能力が求められる。私の場合にも、頼まれた「製品開発デザインだけ
行っていた」という誤解が多いが、実際は全てに携わっていたということだ。
が、最大の弱点になるのは家族主義経営ではないかと思った。社員が少数であれば経営者の家族が手伝っているのは当たり
前のことで、後継者が子供に継がれることがほとんどである。家内工業であれば当然の帰結かと思う。
しかし、従業員が30名を数えるような企業であれば家内工業とは言えない。親族、親兄弟、子供、孫まで連なっていると
それ以外の社員は疎外感が強くなり、閉息感が生まれる。安定はしていても、夢や将来の展望が独善的になり、致命的なの
は反対意見を受け入れなくなることだろう。優遇されたとしても、才能・能力の搾取感に耐えられなくなる。普通、そこに
留まる理由は消滅してしまうだろう。HONDAやAppleは素晴らしい事例を残している。


(5)やってはならない「今、人気がある業種のデザイン」

世は常に栄枯盛衰である。今、人気がある業種は何らかの理由で衰退し、輝きを失ってしまう可能性がある事は世の常と考
えておく必要がある。自分が目指すものの基準は洗いながら考えて行動しないと、単なる流行に終わる職業かもしれない。
過去を振り返ると、豹変し、一気に価値を失ったものや、人手やコスト競争から信じられない転落を見た業種の事例が山ほ
と確認出来る。その時代を理解し、自分の能力を正しく掌握し、むしろ他人が気付かない箇所や考え方、個性的な興味に信
念を持ちたい。多くの人が納得したり、魅力に思える中に自己実現を描くより、道無き道を切り開き、独自の魅力を開花さ
せる方に力を傾注した方が結果的に社会に役立つことに繋がる。必要なのは、時勢に流されない信念、勇気、それに新しい
英知だろうと思う。人気がある業種は次の時代で人気が無くなる可能性が高いと考えたい。
※1960年代は家具産業が爆発的に発展し、各産地が賑わったが、70年代に急激に衰退した。
※私達の世代では70年代はオーディオ(音響機器)デザインの最盛期で、社外にも大量のデザインが発注された。
※カーデザイン。嘗ては工業デザインのジャンルで憧れの存在だったが、今や若者の個性とは縁遠くなり人気は衰退した。


(6)やってはならない「人気メーカーのデザイン」

生活のもっとも身近にある食器。特にデザイナーを志す女性に人気である。素材は陶磁器からガラス、プラスチック、木製
など様々。業界団体主催の各種発表展示会では目を輝かせた人達で溢れている。しかし、この場を得ることも、ここで花開
くことも、実に高いハードルが待ち構えている。世界的に見ても、正に栄枯盛衰を繰返し、名門であっても、いや、逆に名
門であればあるほど継続は難しく、地位の確保は容易でないことが分かる。日本独特な文化である漆器についても多くの優
良企業が倒産したり産地に吸収されたりの統廃合の歴史を刻んでいる。このジャンルの仕事で贅沢を望んだり、他人より羨
ましがられるような生活をしたい虚栄心の持ち主は初めから向いていない。小さくても、新しい美や形体の可能性に人生の
希望をかける託すような人柄が望まれよう。素晴らしい世界であることは間違いないので、、。

(7)やってはならない「デザイン料が無料(タダ)の仕事」

日本では価格をつり上げる行為に厳しいが、米国ではダンピンクに厳しい。
特にバブル経済崩壊後、多くの企業は歳出を減らすために削れる項目をソフト経費を切り捨てるトレンドが出来上がった。
広告、宣伝費や印刷デザイン費を「込み」とする風潮が生まれ、中身より見積もりが幅をきかせる事態が当たり前になり、
報道はされていないが、フリーランスのデザイン事務所は苦戦を強いられ、トラブルも多発した。
関西の挨拶「もうかりまっか」が美徳だが、「デザイン料を払わない」ことが美徳とまでは言わないが、奨励される感覚が
生まれたのは確かである。ボランティア・デザインは犯罪と考えたい。
最終的にデザイナーの首をしめ、地位や経済力を押し下げてしまう。プロとしてまっ先に心得るべきことである。



(8)やってはならない「ホストとゲストの混同」

デザインという職業は人の内面との戦いなので、社交性やガバナンスの問題に疎く、人格形成に適しているとは言えない側
面がある。先輩にいわゆる「ためくち」をつくのはスポーツ選手なみだし、しばしば上下間系を脱線してしまうことも多い。
職能的には許される範囲もあるが、事が終われば恩人まで貶めるような行為は社会人として慎みたい。
上下関係においても「上」の方で取り間違えしまっていることがある。その代表的なものに「ホストとゲスト」の立ち降る
まいがある。
社会交流の多くはゲストを招くホストと、ホストに招かれるゲストで構成されている場合が多い。そこには互いの礼儀と秩
序が存在することを忘れてはならない。事例を上げてみよう。
a−ある「賞」がある。そこには性質や特徴があり、仮にノミネートされた場合はそのことを理解する必要がある。納得出
来なければ、ノミネートを打診された時点で辞退すれば良い。国民栄誉賞であっても、過去、辞退者は何人もいる。問題は
ノミネートを受け入れておいて、後でクレームをつける行為である。
b−似たようなことになるが、複数のデザイナーが参加する発表展示会。この場合も展示会の主催者(または企画者)がホ
ストで、参加するデザイナーはゲスト、ということになる。大掛かりなものになれば、全員が完全に納得出来る運営など出
来るはずがない。意見を述べることは良いとして、主催者にクレームをつける行為は慎みたい。
また、逆にテーマに基づく合同発表会のような性質は除いて、主催者のホストと、招かれたゲスト出品者が混同するような
形は望ましくない。やはり、ゲストとホストが都合良く入れ代わるのは、ある種、権力の乱用に繋がる可能性がある。



(9)やってはならない「市場主義(迎合)型デザイン」

デザインや形が分からない人が商品開発に携わると不安で仕方がなくなる。だから、過去、売れたデータを並べ立て売れた
ものをベースにデザインを強いる傾向となる。別名、マーケット・インとか、マーケティング・イン型デザインという。
一方、悪名が高いのはプロダクト・アウト型デザイン。売れるのか、売れないのか、そこに基準を置かないデザインである。
しかし、よく考えて見ると、私達を魅了してやまないデザインは大半がこれで、自動車のミニや、カメラのライカM3〜4、
そして、現代においてはアップルのiPhoneがある。そのiPhoneが登場する6年前、同社からiPodが出た。
考え方においても、デザインにしても、理解に苦慮する、いわばスティーブ・ジョブズ氏のひとりよがりと思われていた市
場無視の代名詞で終わりかねないデザインだった。が、結果はどうだったか、、。そして、21世紀に入ったばかりの頃、
周囲の日本企業はどんなデザイン価値基準を持っていたか、ようく考えるべきだある。私は、あの当時、どんなデザインが
受賞しているか、iPodと一緒に並べる展示会を推奨したい。



(10)やってはならない「履歴の改竄」

デザイナーにとって意外と難しいのは実績の証明。半世紀も活動して、つくづくその事を実感する。
まず、客観的な事実を物的に、情報的に残すこと。作品の保管、DMや掲載記事、ネットのハードコピー。必須である。
自己活動の年表など、必要ないし、出来っこないと思ってはならない。記録を取り、出来ればスケッチも残したい。
人間は自分を有利に判断しがちなので、自然と事実の改竄、経歴詐称をしている場合がある。第三者のチェックが必要だ。
それでも、その活動に決定的な影響や、動機となったことまで表記出来る度量があるデザイナーはほとんど見当たらない。
自分の評価を高めることになる人名は上げるけど、イメージダウンに繋がることは防衛本能が働いて伏せられているのが普
通である。



(11)やってはならない「同業者、仲間に愚痴や弱音を言う行為」

意外かもしれないが、時分の弱味を見せたり、話したりすることは絶対に慎みたい。「武士は食わねど高ようじ」につきる。




2019 Syohei mihara design studio.All right reserved.